<1979>
3月25日、ファースト・アルバム『SHEENA & THE ROKKETS #1』発売。
4月にはアルファ・レコードに移籍、細野晴臣とのデモ、リハーサルを経て
10月25日、『真空パック』リリース。YMOのライヴ、録音などにも参加する。
<1980>
2月、渡米。
4月、渋谷・屋根裏3days。
6月下旬、ラモーンズのオープニング。
10月、『チャンネル・グー』。
10、11、12月にシングル3種連続発売。
11月から学園祭を主に全国約20ヵ所のツアー。
<1981>
7月先行シングル「ピンナップ・ベイビー・ブルース」、
9月、同名の4作目のアルバム。同9月、アメリカA&M盤リリース。
10月17日、日比谷野外音楽堂で初の野外ワンマン“PINUP LIVE”開催、実況録音され、
翌年、鮎川のパートが『クール・ソロ』に。
<1982>
2月、『クール・ソロ』。シーナの唯一のソロ、細野プロデュース、
LDKスタジオ録音の『ビューティフル』が
クリスマスの時季にリリースされる(83年1月新譜扱い)。
11月、出産準備のため、シーナ、休養に。
<1983>
年初、柴山、鮎川、奈良、浦田のメンバーでサンハウスが再結成され、
9月の日比谷野音のライヴが11月に『クレイジー・ダイアモンズ』としてLP化される。
6月21日、鮎川家の三女、知慧子誕生。
<1984>
1月、ビクターに移籍。
3月、ロケッツとしての『ロケット・サイズ』発表。
シーナの復帰も早く、9月に先行シングル「スウィート・インスピレーション」、
11月にアルバム『ニュー・ヒッピーズ』リリース。
<1985>
1月24日、渋谷公会堂、ワンマン。
5月21日、僅か半年のインターバルで『メイン・ソングズ』発売。
8月、仙台のRock 'n' Roll Olympic '85。
10月、初の12インチ「レモンティー」。
<1986>
1月30日〜2月1日、渋谷Live Inn、3デイズ。
6月、山口冨士夫をゲストに迎えた『ギャザード』。
7月、Blues Carnival '86。
9月25日の名古屋市民会館と、10月4日のLive Innから、
初の2枚組『キャプテン・ギター&ベイビー・ロック』を12月に発表。
<1987>
6月、1年振りの新曲「どうしても逢いたい」リリース。
同曲を含むアルバムは9月発売の9作目『#9』。
9月28日、渋谷公会堂。
10月、ベースの浅田孟、脱退、奈良敏博参加。
<1988>
5月、Japan Rock Fes '88。
3〜4月にニューヨーク・レコーディングされた
『ハッピー・ハウス』が7月21日にリリースされる。
9月24日、シーナ&ロケッツ結成10周年ライヴ日比谷野音、以後全国ツアー。
<1989>
2月と6月にInkstick芝浦、2デイズ。
4月30日、野音Tokyo R&R Ball出演、ゲストにレニー・ケイ。
5月、Blues Carnival'89でアルバート・キングと共演。
8月、『ドリーム&リヴォルト』。
<1990>
2月、川嶋、奈良、脱退。
4月以降、シーナ、鮎川、渡辺信之、中谷宏道、西山嘉治の布陣に。
12月20、21日、東京ドームのジョン・レノン生誕50周年記念コンサート出演。
<1991>
2月、CM曲「Ji Yu U」を含む3曲入りCD。
4月、アルファから『クレイグ・レオン・リミックス』。
7月からシーナ、鮎川、渡辺、ロミー木下、ジョニー吉長のメンバーでツアーに。
<1992>
6月、アルバム『Ha! Ha! Ha! Hard Drug』。吉長は作詞・作曲にも貢献。
10月から鮎川誠Blues Band名義の東京近郊ライヴ・ハウス・ツアー。
メンバーはシーナ、鮎川、渡辺、橋本潤、Doug Bruce Jr。
<1993>
2〜3月、鮎川、ロンドンのタウン・ハウス・スタジオでソロ録音。
6月、仏スカイドッグからのベストCD。同23日、『London Session #1』。
7月からシーナ、鮎川、渡辺、橋本、東川元則のメンバーに。
11月、鮎川ソロ第2弾『London Session #2』。
12月13日、ニューヨークCBGB、再出演。
<1994>
1月、鮎川&シーナwithウィルコ・ジョンソン・バンド、東京、博多でライヴ。
前年10月、ロンドン録音されていた、阿久悠との全面コラボ作『Rock On Baby』が
4月21日のリリース。
11月、コンピ2種、『Rock 'n' Roll Heart』『同2』。
<1995>
2月、渋谷On Air、ローリング・ストーンズWelcomeコンサート。
5月3、4日、大阪城野外音楽堂「春一番」コンサート。
8月、鮎川、パーソナル・コンピューターを始める。
<1996>
2月、シーナ&ロケッツのホームページ、Rokket Webが始まる。
以降、セットリストなども掲載されるようになった。
主にブルース関連のライヴ・セッション多数。
11月、ベースが橋本から穴井仁吉に。
12月、鮎川著『DOS/V BLUES』。
<1997>
4〜5月、鮎川、シーナはニューオーリンズ、メンフィスなど車旅行。
8月5日、同日のシングル「Internet Kiss」のリリースに合わせ、
原宿Cafe de presからインターネット・ライヴ発信。
翌6日、細野制作の『@HEART』発表。
9月には新宿リキッドルームで細野をゲストに「Live@Heart」開催。
8月末からドラマーが東川から金崎信敏に。
<1998>
3月1日、博多サンパレス・ホール。
5月、沖縄ツアー。
8月1日、Fuji Rock Festival '98 in Tokyo。同7日〜北海道ツアー。
12月29日、博多天神Beggers Banquet。
<1999>
3月16日、新宿ロフト「最後の日」。
5月、ウィルコ・ジョンソン・バンドとの双頭ツアー。
7月、穴井脱退、以降現在まで、渡辺がベースに持ち替えることになる。
11月、九州ミニ・ツアー。
<2000>
1月、大阪〜広島〜島根〜鳥取。
同28日、鮎川とシーナの札幌でのセッションを期に、ドラムに川嶋が復帰。
7月29日、新潟県苗場スキー場「Fuji Rock Festival」。
8月、『ROCK THE ROCK』発売。
以後、リリース記念イヴェント多数〜大都市ツアー〜学園祭。
<2001>
1月1日、『爆音ミックス』発表。
4〜5月、近畿・中国ツアー。
7月20日、下北沢Club251「Johnny Thunders 10回忌」。
8月17日、北海道石狩湾「Rising Sun Rock Festival 2001」。
10月14日、北九州「博覧祭2001」。
<2002>
鮎川とシーナのライヴ・セッション参加多数。
大晦日、東京・芝メルパルクホール「New Year Rock Fes 30回記念」のトリ。
<2003>
7月26日、Fuji Rock Festival '03。
8月16日、Rising Sun 2003。
11月23日、Shibuya-AX、12月4、5日、博多CB、共に25周年記念ライヴ。
<2004>
リミックス盤『ELECTROKKETS』発売。
6月、Dee Dee ラモーン追悼。
7月、北九州若松・高塔山ジャム。
鮎川と永井隆のセッションも増える。
<2005>
5月、横浜・7th Avenueの20周年では30曲を披露。
10月、京大西部講堂。
鮎川監修の『200CDロックンロール』出版。
<2006>
ライヴハウスでもフェスティヴァルでも、活発なステージ活動の年。
特に、7月の福岡・CBと、9月の新宿ロフトの 第一部「Kool Solo」が話題に。
<2007>
5〜6月に、名古屋・大阪〜九州ツアー。
最終日のCBではセッションを含め24曲。
11月には福岡で、一夜限りのサンハウス・ライヴ。
(以上、30周年ブックレットより転載)
<2008>
8年ぶりのニューアルバム『JAPANIK』、30周年記念盤として発売。
同作ならびにバンドの30周年を祝うべく、恵比寿ガーデンホールでのツアーのキックオフには
内田裕也、細野晴臣、高橋幸宏、チバユウスケなど、
日本のロック史を体現するアーティストが多数出演。
オリジナルメンバー浅田孟、復帰。
40本を超えたツアーは各地で、30年目が最もフレッシュなグループのライブとして話題を集める。
鮎川の60才を祝して“還暦ロック!”をサブタイトルに、動員もしり上がりとなる。
日テレ開局55周年CM『日テレGO!GO!』に、鮎川誠、日本人アーティスト第一弾として出演。
堺正人主演『ジャージの二人』に鮎川出演。
ユニークな作風と鮎川の芸風がマッチし?同作は全国公開のヒット作となる。
<2009>
ブルーノート東京、ビルボードライブ大阪を始めとする“大人のロックショウ”、6地区14公演。
各地ソールドアウト。着席でもロックンロールを体感できる事を証明。
鮎川&シーナUNIQLO『PARKA1000』CMに出演。